この年は空梅雨だったのですが、台風6号で梅雨前線が刺激され、伊那谷では6月23日頃から雨が降り続きました。26日には駒ヶ根市大田切で187.5mm、27日には同市赤穂で154.4mmの雨を記録しています。
私の住む中沢集落は天竜川の左岸、新宮川沿いにあります。降り続いた雨で山は地盤が軟弱になり、しっかりした木もなかったことから、27日にはあちこちで“山抜け”が発生しました。新宮川に注ぐ唐山沢、猿沢ではとりわけ土砂を含んだ水が大量に押し寄せました。山が抜けるときは、空気全体が変なにおいをさせています。水害というより山崩れといった表現のほうが的確かもしれません。これから山が崩れるという予兆なのでしょう。そのにおいが私には不安でたまりませんでした。
この災害で中沢の上割地区は、それまで120戸あった家が60戸に減りましたし、落合から南海にかけては、30戸のうち半数が流失しました。人的被害も出ています。大洞では5人の尊い命が失われてしまいました。ほかにも、新宮川発電所や稚蚕飼育所、路線バスの流失がありました。
私の家は幸い高い場所にあり、新宮川の被害は田畑のみで済みましたが、家のすぐ脇を流れる南海の沢がやはり荒れ、水車小屋や作業所が流され、本宅も床下まで水がつきました。今でもその傷跡が土蔵の壁に残っています。当時家にいたのは私をはじめ6人でした。押し寄せる土石流から逃れるために、生まれたばかりの下の子を抱いて山のほうへ一家で走りました。水が引いた後、重機など十分にない時代ですがら、家の復旧にずいぶん手間がかかったことが思い出されます。
このあたりは、地質的にみてももろい土壌の場所だといわれます。また川幅も狭く、十分な護岸もありませんでした。そこへ今までにない豪雨です。さまざまな悪条件が重なって、大災害になったのだと思います。
ですから、まずそこに暮らす人たちが地域の地形地質について知識を持っていることが必要です。これまで中沢は災害の心配のない地域でした。ですからこの山間の地に、「三六災害」のときまで集落がかなりまとまったかたちであったのです。しかし、当時のように悪条件が重なった場合、予測だにできないことが起こる、そのことは土地の事情とともに把握しておかなくてはいけないと思いました。
そして災害から生活を守るためには、森林整備だけでは十分でなく、砂防のためのダムが絶対に必要だということです。同時に川幅を広げ、護岸を築くことも重要です。三六災害後に新宮川には砂防ダムがつくられましたが、そのおかげで昭和58年の大雨のときは大災害にならずに済んだのだと思います。
そして、砂防ダムをつくった場合、そのダム機能を維持するために、しゅんせつ工事なども継続して行っていくことが求められます。暮らしのためには、それに見合う条件整備がどうしても必要なのです。昭和58年の折、新宮川の土砂をせき止めた砂防ダムは、私たちの生活を救ってくれたかわりに、土砂がかなり堆積しました。これは裏を返せば、必要なところに必要なものをつくったということではないでしょうか。